欠陥住宅より重大な欠陥

秋木の場合、本来は地表から上の部分については民に任せ、下の部分についてこそ厳しい規制が必要である。中古車を買う場合、その車はどんな人が所有して、どんな運転をしていたか知りたいものである。同時に宅地を求めようとする人にとって、造成された土地であるなら、以前はどんな土地であったか、その辺りの地形はどんな状態であったかを知る権利があるはずである。狂牛病の発生が確認されてから肉骨粉の使用を禁止するようなやり方は、今後許してはならない。そのためには、美味しい牛肉に喜んでばかりいないで、その美味しい牛肉がどのように生産されているのかに関心を持ち、監視していくべきである。我々が日常的に使っている自動車や家電製品の技術革新の陰には、各メーカーにおける技術競争と輸出競争が存在した。自動車は、これを運転する人の意思によって凶器となる場合もあるが、本来の目的は、より安全に運転、または、輸送することである。安全に運転するためには、運転中に発生しうる不快な要因を取り除かなければならない。この不快な要因を解決したものとして、運転する人の体型が異なっても同一条件で運転できるようにハンドルの位置の変更ができる、イスが前後に動く、背免(もた) れが動く、ミラーが動く、自動で窓の開閉ができるなどの機能があり、快適な運転が可能になったことによって安全が保たれるようになった。箪笥などは危ないとされておりますが、上手に固定すれば逆に家の強度が増し、重要な役割を果たします。家 高く売る ←その他役立つ情報はこちらから。

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不動産に目を向けて考える

狐と狸の化かし合いに似ている。反対に、不動産に目を向けて見ると、安全という部分での配慮は大きく欠落している。こう申し上げると「不動産は動かないものであるから工場で生産するようにはいかない」との反論もあるのではないかと思う。宅地においては、傾斜地での造成工事、自然破壊による災害の誘発、地質調査なしの盛土、更に最も悪質なのは、地中に建築廃材を投棄した上への盛土などで、いずれも安全性とは無縁のものがまかり通っている。公共的事業である区画整理事業でも、単なる区域内の残土の移動であり、地質についての安全性についてはなんの保証もなく、所有者または買手の責任となる。売買される対象物がなんの保証もなく、それについてなんの情報も得られないところに問題があるのだ。公共の区画整理事業で販売された宅地を、Aさんは坪当たり二○万円で買った。宅地に住宅を建設するため、地質調査を業者に依頼したところ、地質改良のために一五○万円かかるとの報告を受けた。同じ時期にBさんも坪当たり一八万円で買入れした宅地に住宅を建てようと思い、Aさんからの情報を基に、同じく地質調査を依頼したところ、この業者からのBさんへの報告は四五万円であった。Aさんは憤慨して、販売した事業組合に、Bさんとの差額一○五万円の補償を求めたが、全く相手にされなかった。普段は遊び道具でも緊急時には非難用具になる設備もあると安心です。←こちらではさまざまな不動産を見られます。

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豊かな暮らし

全てに経済が優先されることで化学製品が出現し、人の健康よりも生活の豊かさが求められるようになった。本来豊かな暮らしは健康あってのものであるのに、物の量によって決められるのは残念なことである。数年前、住まいと健康についてのアンケート調査を行なったことがある。築二○年以上経過したものは別にして、築二、三年の住宅においても問題となるような回答は得られなかった。しかし、大きな病院や町の専門医院に尋ねてみると、患者の数が多いのに驚いた。シックハウス症候群、喘息(ぜんそく) 、アトピー、化学物質過敏症など、さまざまな言葉を耳にして、現実に通院していても他人に知られまいとする気持ちが強いと感じた。この原因は一体どこにあるのか。結果は競争を強いられた社会の仕組みの中で、すぐに他人と比較して考えてしまう習慣が自然と身についてしまったことによると考えられる。弱味を見せまいとする考えから、心を開く方向への転換によって、気軽に暮らせるし、解決の糸口が見つかるものである。住宅を建てる施主側と、これを請け負う業者の間には、相反する考えが存在することも事実である。これをカバーするのは信頼とお互いを思いやる気持ちである。これがないと、施主側は、いかに安く請負契約書を結ぶかということばかりに夢中になって数社からの見積りを取りに走り、業者側は他社の見頼り金額を掻(か) い潜って獲得した請負金額の中から、いかに多くの利益を確保するかに知恵を絞ることになる。地震列島日本では建物を建てる時、必ず地震を見越した設計をする。各種不動産知識は、←こちらをご覧ください。

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住まいという器

自分のためにボランティアをする、自分のために仕事をする、自分のためにゴミを出さないようにする、自分のために体を鍛える、全て自分のためにと考えて行動することが、結果として社会のため、職場のためでもあり、行為そのものが苦にならない。住まいという器を造ることも同じことで、自分のためにどんな器を造るかを考えることにより、先人の人達の知恵が生かされ、業者のセールストークの誘惑に惑わされずに済み、住む人が絆で結ばれた本物の住まいが完成する。本物の住まいには人が寄ってくる。また、その住まいを出て独立した人達にとっても、誇りに思う実家となることだろう。時の流れと言うか、時代の移り変わりと言えるのか、私の田舎も目まぐるしく変貌(へんぼう) してきた。食糧増産が米余りにつながり、生産農家に四割の減反を強いている。更に二○○一年は、天候に恵まれ豊作が予想されることから農業団体中央会が、青田刈りを実施することを決めた。子供の頃には、畑のトマトや胡瓜(きゅうり) などを洗いもしないでその場で食べたものだ。しかし増産のためにはより有効な肥料や、より有効な農薬が必要を迫られ、商品価値を高めるために規格まで決められるようになった。それが今では自然食品ブームとなり、有機農法による農薬を使わない栽培が求められている。農薬を使わない栽培の方法は、先人の豊富な経験の中から作り出された肥料や、害虫に対する対策といった形で受け継がれてきたはずである。火事にも備えましょう。←こちらでのサイトではいろいろな住宅情報を取り揃えております。

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同居すること

同居することを目的に親の援助を当てにしたり、逆に同居してくれることを当てにして援助する考え方から脱却せよと申し上げたい。『孫」という歌が大流行したように、孫はかわいいのかもしれない。誰でも責任のともなわないものはかわいいし、見ていて面白いものである。同時に物欲による教育は簡単であるし、楽なものである。しかし物欲は長くは続かない。場合によっては苦しみをともなうこともある。心の教育こそ、絆を強め、親子を最良のパートナーとし、満足できる悔いのない生涯を終えるために必要なのではないか。私は、五○年前は小学校の三年生で、冬になると積雪は一メートル五○センチぐらいあり、大人達が雪踏みをしてくれた道を通学していた。家の周りは屋根から落ちた雪が山のようになり、家の中は昼間でも薄暗かった。勿論当時の電気は高価なもので、昼間電灯をつけることはなかった。これに比べて今日はどうだろうか。積雪が五○センチ程度でも今年は大雪だとなる。各種電化製品の普及や暖房器具の格段の進歩、自動車所有台数の増加に比例して、降雪量が減少してきた。気象の専門家ではないので、難しいことはわからないが、降雪量の減少によって生活し易くなったと考える人、温暖化を嘆く人も僅か五○年間の生活を振り返ることを薦めたい。世界一の長寿国になって、長い老後を自分のために生きる人が増えている。人のために生きることは疲れる。不動産、リフォームと言えば、←こちらのサイトがお勧めです。

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住宅を建て替える

親の目の届くところで生活させることによって、なんでもしてくれるという安心感。この関係は決して家族の絆とは言えない。最近は農村でも姑が嫁に気をつかうようになって、嫁と姑が仲よく生活している家庭も増えている。こんな家庭でも、これまでの住宅を建て替えたことによって一変した例がある。宅地は親のもので、息子夫婦は住宅ローンによって建物を建て、建物そのものは宅地がなくては建てられないものであるから、本来共有のはずが息子夫婦、強いて言えば嫁に主導権が移ってしまう。こんなケースは稀(まれ) なことではなく、台所への出入りが自由にできなくなったり、トイレ・風呂場の使い方までうるさく言われたりもする。鍛冶職人をしているSさんに仕事を頼みに行った時の話であるが、彼は「息子は再三建て替えたいと言っているが、俺は反対だ。何十年も家賃も払わないで住んできたんだから手持ちの資金ぐらいあるだろう。親を当てにしないで、自分の好きなように建てればいい」とぽつんと言った。職人としてさまざまな家庭を見てきて、客が仕事を頼みにきたときの茶飲み話で多くの愚痴を聞いてきた者として真実を語ったものである。確かに、孫一人の専有面積が六.七畳に対して、老夫婦の専有面積が八畳とは不公平な話である。それでもリビングなど自由に使えれば話は別だが。最近では二世帯住宅に建て替える人が増えてきたが、お互いに気がねなく暮らすためには、台所、風呂、トイレ、玄関までも別々にするのが望ましい。業者が所有している資格よりも重要なのは実績でしょう。←こちらから業者選定への情報収集を始めましょう。

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実現したマイホーム

普段子供達と接することの少ない分、欲しいものをなんでも買い与えることで、愛情を注いで子育てをしていると錯覚してしまったのではないか。多額のローンを背負い、実現したマイホームも、子供部屋中心のものになり、家族団藥(だんらん) を目的に設けられたリビングには人影がなく、高価なソファは昼寝の場と化しては寂しい限りである。食事時しか居間に家族が下りて来ない風景は、一見、昔の下宿に似た光景であるが、会話が弾まない風景は異様に映る。経済大国になったことで、国民全てが中流意識に酔いしれ、比較することで自己主張しようとする傾向が強くなった。隣が車を買い替えれば、自分も負けじと買い替える。隣が住まいを建て替えれば、それ以上に大きく豪華な家を建てる。なかんずく建て替えのできない場合には、相手の懐具合を詮索して、借金の大小で自分を納得させて満足する。Aさんの息子は大学に入った。自分の息子は高卒である。Bさんの息子は一流企業に就職したが、自分の息子はトラックの運転手だ等々、あまりに周囲と比較して生活してはいないだろうか。地方に限ったことではないが、地方に住んでいる者にとって、特によく見かける光景は、まだ自分が四○代なのに「車を買ってやるから地元に就職しろ」などと子供に言う親の姿である。これはもうすでに初老に入っているとしか言いようのない甘えである。二○歳を過ぎても独立させようとしない親の甘え。地震はいつあるかわからないので、対策は早ければ早いほど良いでしょう。←こちらのサイトでは不動産関連情報を取り揃えております。

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家と高度経済成長

来客があっても一度も席を外すように言われたことがない。大人達の話に子供らはじっと聞き入り、これが人の話を聞く訓練にもなったし、自然に社会学習の場ともなっていた。当時の親達は決して子供達に学習させようと思ってやった行為ではない。どんなに無学であっても、自分の子供に対して、このことを隠すこともしなかったし、むしろ子供から学びたいという気持ちがあったのではないか。私がこのように昔の話をしたのは、家族の絆が基本にないと、長期に高額のローンを組んで造るマイホームも、単なる借金の箱にすぎないものになってしまうことを認識していただきたいからである。リストラという名のもとに失業者が増え、ローンの払えなくなったマイホームの差し押さえによる競売物件が増加の一途をたどっている。後の章で取り上げるが、その解決方法を確立しないと社会は疲弊し、犯罪大国となり荒廃してしまうのではないかと私は憂えている。忘れてはならないのは、どんな解決方法も、家族の絆がなければ有効ではないということである。3住まいの形と家族関係は比例しない現在五○代から六○代の人達は、高度経済成長の原動力となった人達である。この年代の人達から共働きが一般化し、その子供達はカギっ子となった。暮らしをよくしたい、子供達に学歴をつけてやりたい、プライバシーの守れる家が欲しいなど、さまざまな願望を持って彼らは一生懸命働いてきた。普段は遊び道具でも緊急時には非難用具になる設備もあると安心です。←こちらではさまざまな不動産を見られます。

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自分たちにとって住とは何か

生活の仕方になんのポリシーもないままに、見栄えや周囲の影響に左右されたマイホーム造りは、将来、自らを苦しめることになったり、社会生活に適合できないような偏見にとらわれて、社会秩序を乱すことにもなりかねない。昔の住まいと、そこでの生活を見つめ直し、自分達にとって住とはなんなのか、自分達はそこでどう暮らし、どんな関係を築いていきたいのかを検討することなしに、巨額な借金と、一生をかけての支払いをすることに、なんの意味があると言えるだろうか。読者が家を買って悔やまないことを願う。今でこそ有線放送は気軽に個人の家まで引くことができるが、昭和三○年代は農協が中心になって農家に有線放送を設置するようにしていた。当時の有線放送の目的は、農家への情報の提供と生活改善であり、日本経済発展の原動力となった農村からの労働力の移動が急激に始まり、食糧増産のための改善が必要となったためであった。当時の農村の平均寿命は短命で、朝五時前から働き、夕食後「夜割り」と称して深夜二時頃まで働いた農村の人達は、正に地を這(は) うように腰が曲がってしまっていた。私はこれを憂えて、バレーボールの推進を有線放送の投書コーナーで訴えた。今でこそ婦人バレーボールは盛んになっているが、当時は白い目で見られた。今でも忘れることができない。しかし母親は新聞も満足に読めないほどの無学であったが、私の話を真剣に聞いてくれた。リフォームなど大きな出費をしなくても、有効な地震対策も有ります。←こちらのサイトから安心できる物件を探してください。

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生活の仕方

二○○一年一月一日付の朝日新聞の一面に、二○××年、東京は四○度を超す酷暑になり、環境エネルギー問題で死活の岐路に立つという内容の記事が載っていた。これは東北大学の齋藤武(さいとうたけ) 雄(お) 先生が理論的に三○年後の東京の気温を予測したというものであった。奇しくも、二○○一年は何十年ぶりの寒波での幕開けとなった。安い燃料として定着している灯油の売上げも大幅に伸びたが、その分二酸化炭素の放出量も増えていることに関心を持った人は少ないのではないか。更に、梅雨開けからの猛暑が一ヶ月近く続き、電力消費量もこれまでの最高を記録している。地球全体から見ると、猛暑、旱魅(かんばつ) 、洪水、寒波などが同時進行して、人類の自然に対する無力さを警告しているように思えてならない。また、近年社会問題化している青少年犯罪や虐待、いじめなどは慢性化しており「またか」の一言で片づけられてしまってはいないだろうか。これらの問題を心理学的な面でのみとらえて、根本的な解決が見出されないままになってはいないでしょうか。地球環境の問題にしても、青少年犯罪、幼児虐待、不登校、いじめ、などの社会問題も基本的には、生活の基盤である「住」のあり方と、「生活の仕方」が大きく関係しているのではないか。これに気がついて、活動を始めた人達も少しずつではあるが生まれてきている。ところで、不動産といえば、←こちらのサイトがお勧めです。

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